home news 上映予定 作品解説 メッセージ 遺棄毒ガス砲弾問題とは? 観客のVOICE 取材ノートから 自主上映会について
       
笑顔を奪われた娘 リュウ・ミン 
未来のない人生

『父親は本当に優しい人でした。休日に庭で一緒にご飯を食べるのが家族の楽しみでした。父が生きていた頃、私たちがどれほど幸せだったか。もう、あの日々は二度と戻らないんです。』

それまで気丈に振まっていたリュウ・ミン(27歳)の涙は止まらなくなった。彼女の瞳は重く沈んでいて、表情はなんともいえず暗い。口元が笑っていても、瞳の奥は笑っていない。父親は1995年に、旧日本軍の遺棄した砲弾の事故にあった。手足が吹き飛び18日間苦しんで死んだ。彼女が19歳の時だった。父の死後、治療費は莫大な借金になり、家も全て売った彼女たちは、一生働いても消せない借金を背負ってしまった。

『楽しいことなんて何もありません。働くのが精一杯で考える暇もないんです。』一家を支えるため休みなく働いてきた8年が彼女から笑顔を奪ってしまったのだ。

よみがえる悪魔
毒ガスに塗り替えられた人生

李臣(59歳)は29歳の時、河の浚渫作業中に旧日本軍の毒ガスの事故にあった。毒ガスの入れ物に触った両手は水泡が沢山できて、ぶどうの房のように膨れ上がった。涙が止まらなくなり、手の指と指の間はくっついて水かきのようになった。体中から膿がでて、口や性器は腐ってひどい匂いがした。

当時20歳だった妻は、『変わり果てた夫の姿を見て、自分の人生の幸せはなんと短いのかと毎日泣きました。後遺症は治る当てがない。働けなくなった夫と、生まれたばかりの子供を抱えて途方に暮れました。』

毒ガスの後遺症で極貧生活に転落した李臣一家は追いつめられて2回、自殺未遂をはかっている

繰り返される悲劇

2003年8月には、中国東北部のチチハル市で、新たな遺棄毒ガス兵器の事故が起きた。1名が死亡、子供を含む43名が深刻な後遺症を負った。

戦争が終わって60年。中国の大地には今も、日本が棄ててきた兵器が人知れず眠っている。かつての戦争の置き土産で、平和な時代に傷つけられ、命を落とす人々。彼らの声に耳を傾けてください

中国メディア取材殺到の話題作

遺棄兵器に関心の高い中国では、撮影中から監督に同行取材する新聞やテレビが殺到。完成後は、中国最大手のテレビ・中央電視台に監督本人が招聘されて、ゴールデンタイムの全国放送でこの映画に関する特集番組も放送された。

●リンク
中国中央電視台のサイト
asahi.com内の人民日報のサイト

台湾国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品
アースビジョン地球環境映像祭正式出品
平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞
黒田清日本ジャーナリスト会議新人賞受賞
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